年譜に見る天皇家と怨霊
赤字は怨霊と推定される人物
右肩数字つきは天皇とその代数
平成10年初版・平成13年改版


年代出来事
-1783144.大国主命とその息子ら、天照大御神の尖兵建御雷之男神に屈し、とこしえに隠れる。天照大御神、次男の天之菩卑能命(出雲神官の祖)に命じ、これを出雲大社に祭らせる。
-660.01.01神武帝1(神日本磐余彦尊)、大和畝傍橿原宮に即位(第1王朝)
-585.03.11崩御。
-097.01.13崇神帝10(御間城入彦五十瓊殖尊)、即位(第2王朝)
-30.12.05崩御。
203.01.03応神帝15(誉田別尊)、立太子。
270.01.01即位(第3王朝)
310.02.15崩御。
456.08.09.安康帝20(穴穂尊)、眉輪王により弑逆さる。
498.12.武烈帝25(小泊瀬稚鷦鷯尊)、即位。
506.12.08崩御。仁徳系第3王朝断絶。
507.02.04継体帝26(男大迹尊)、即位(稚渟毛二派皇子系第3王朝)
531.02.07崩御。
587.06.07穴穂部皇子、暗殺さる。
587.07.蘇我一派、物部一族を滅ぼす。
587.08.02崇峻帝32(泊瀬部稚鷦鷯尊)、即位。
592.11.03蘇我馬子、東漢直駒を使い、帝を弑す。
592.12.08推古帝33(額田部皇女)、即位。
593.04.10厩戸豊聡耳皇子、摂政となる。
628.03.07推古帝、崩御。
641.01.15皇極帝35(宝皇女)、即位。
643.11.01山背大兄王一族、蘇我入鹿らにより謀殺さる。
645.06.12中大兄皇子、中臣鎌足らとともに蘇我一族を討つ(第1次王政復古)。
645.06.14皇極帝、譲位。
645.06.14孝徳帝36(軽皇子)、即位。元号を大化とす。
661.10.11帝、中大兄皇子の妹を皇后に迎えるが、皇子と対立、間人皇后を奪われ、難波長柄豊崎宮に置き去りにされて、孤独の内に崩ず。
662.01.天智帝38(中大兄皇子)、践祚(?)
663.08.27白村江の戦いに敗北、故地任那復興を断念。
668.01.03天智帝、即位。
671.12.03崩御。
671.12.大友皇子(明治政府、弘文39の諡号を追贈)、即位。
672.07.壬申の乱。東軍(大海人皇子)、西軍(大友皇子)、関ヶ原北西に対峙。
672.07.23大友皇子、藤古川の合戦に敗れ、自害。
673.02.27天武帝40(大海人皇子)、即位。
686.09.09崩御。
710.03.10平城京に遷都。
724.02.04聖武帝45(首皇子)、即位。
729.02.12左大臣長屋王、藤原一族の謀略により、死を賜る。
737.4〜8藤原4兄弟、天然痘にて相次いで急死。4.17房前、7.13麻呂、7.25武智麻呂、8.5宇合。
745.08.15東大寺建立開始。
749.07.02孝謙帝46(阿閇皇女)、即位。
752.04.09東大寺大仏開眼供養。
756.05.02聖武上皇、崩御。
758.08.01大炊皇子(廃帝。明治政府、淳仁47の諡号を追贈)、即位。
764.10.09弓削道鏡の排斥を掲げる恵美押勝の乱に連なり廃位、淡路に配流さる。
764.10.23幽閉所脱走に失敗、捕らえられ崩ず。
765.01.07孝謙太上天皇、重祚し、再び即位(称徳帝48
765.閏10.02道鏡、太政大臣禅師に任ぜられる。
766.10.20道鏡、法王に任ぜられる。
769.09.25宇佐八幡宮神託事件。
770.08.04称徳帝、病床にあって崩ず(藤原百川による不作為殺人説あり)
775.04.27井上皇后、他部皇子幽閉先にて卒す。
781.04.03桓武帝50(山部皇子)、即位。
784.11.11長岡京に遷都。
784.09.23藤原種継、暗殺される。
785.11.25早良皇子、皇太子を廃せられる。
786.08早良皇子、淡路に流される途中にて薨ず。皇子の怨霊、巷間に噂される。
794.11.21平安京に遷都。
800.07早良皇子、崇道天皇の諡号を追贈さる。
806.03.17桓武帝、崩御。
850.04.17文徳帝55(道康皇子)、即位。
850.11.藤原良房の娘明子との子、惟仁親王(第2皇子)立太子。
858.08.23帝、不予。
858.08.27崩御。
858.11.27清和帝56(惟仁親王)、9歳にて即位。摂政に良房。摂関政治始まる。
866.閏3.10応天門の変。
866.09.22伴善男、流罪。
897.07.13醍醐帝60(敦仁親王)、即位。
899.02.14菅原道真、右大臣。藤原時平、左大臣。
901.01.道真、大宰権師に左遷さる。
903.02.25道真、大宰府にて卒す。
909.04.04時平、急死。この頃京に災厄多発。
915.10.帝、疱瘡にて不予。
923.01.03帝、皇太子を失う。
925.03.06帝、再び皇太子を失う。
930.06.26清涼殿に落雷、貴紳多く死す。
930.09.29帝、崩御。
939.11.平将門、新皇を称し、関東に挙兵。
940.02.13藤原秀郷らこれを討つ。将門の首級、胴体を求めて武蔵国に飛来す。
953.時平の弟、忠平、菅家の霊を北野天満宮に祭り、守護祭神となす。
984.10.10花山帝65(師貞親王)、即位。
986.06.23帝、菅原道兼に騙されて出家。
996.01.16藤原伊周、花山院襲撃事件。
1123.02.29崇徳帝75(顕仁親王)、即位。
1141.12.07鳥羽上皇によって譲位を強いられる。
1141.12.27近衛帝76(體仁親王)、即位。
1155.10.26後白河帝77(雅仁親王)、即位。
1156.07.05保元の乱始まる。崇徳上皇方、天皇方に敗れる(7.11)
1156.07.23崇徳院、讃岐に配流される。
1158.08.11後白河帝、譲位。
1164.08.26崇徳院、五部大乗教を書写し、仁和寺への納経を願うが朝廷に拒否され、写経巻の裏に天皇家を呪詛する誓文を書いて讃岐に憤死す。
1167.02.平清盛、太政大臣に任ぜられる。
1169.06.17後白河上皇、落飾。
1177.07朝廷、讃岐院に崇徳の諡号を追贈。
1179.11.20後白河法皇、清盛によって鳥羽院に幽閉される。
1180.04.29安徳帝81(言仁親王)、即位。
1183.08.20謙徳帝82(尊成親王)、践祚。
1184.07.28謙徳帝、即位。
1185.03.24安徳帝、壇ノ浦の合戦に敗れ、無理心中。
1192.03.13後白河院、崩ず。
1192.07.12源頼朝、征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉幕府を開く。



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