ESSAI
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    ブラックバス規制について

    平成17.4.16



     もうだいぶ前だが、新聞の投書に恐ろしく事態を理解していない愚見があったのにひっくり返ってしまった。例の外来種規制法のうちにブラックバスを指定した一件への反論である。この投書子は、バスと在来種が共存しているということを挙げて、バスが無制限に増殖することはなく、規制は誤っていると主張する。彼の職業は千葉の貸しボート屋である。恐らく己れが生業の場とする湖を思い描いているのであろう。まったく視野狭窄としか云いようがない。

     ブラックバスが無制限に増殖することはもちろんない。いや、それはバスに限ったことではない。そんな生き物はヒトくらいなものだ。バスが在来種と共存することだって十分ありうる。ただ、共存できないことのほうが多いというだけのことなのだ。なぜか?
     生物にはそれぞれ固有のニッチ(棲息環境、食性など)があって、どんなに凶暴な生物でもニッチが合わなければ、そこに進出して定着することはあまりない。ニッチが広い、すなわち柔軟性に富んだ生物は、ある棲息地域を追い出されても別の環境に適応して生き延びる可能性が高いが、一方、ニッチの狭い種は、そこを追い出されるかそこに住むのが困難になると、多くは絶滅する。つまり、生息地域がある2種に属する個体数を十分許容できる広さを持ち、それぞれのニッチがそれほど重ならなければ、その2種は共存することができる。反対に地域の広さが2種の全個体を収容するには狭く、ニッチが重なる場合は、2種は競合種となり、強いほうが弱いほうを駆逐する。
     例えば琵琶湖では、沖合の深いところまではバスも進出せず、そこをニッチとしている在来種は被害をほとんど受けていないが、バスが好む沿岸部を生息域とする在来種は壊滅的な打撃を受けている。不幸にして在来種の多くはニッチが狭く、比較的ニッチの広いバスの目の届かないところまで逃げて(新天地を開拓して)生き延びるわけにいかないのである。そういった在来種を守るためには、彼らよりも強力な競合種を作らないのが第一であり、そのためにもバスのむやみな移植やリリースは、バスには申し訳ないが、慎まれるべきなのだ。
     では移植はともかく、なぜリリースまで制限されるべきなのか。個体数が増えれば種内競争により、弱い個体はより住みやすい地域に向かって拡散する。このため、地域がそれほど広くない場合、その全域がバスによって占有される虞れが出てくる。これはバスとニッチを競合する、あるいはバスに補食される種は、その地域から根絶されるということに他ならない。それゆえに個体数は一定数以下を保たれねばならないのであり、それによって共存の可能性が高くなる。これがリリースを禁じる理由である。もちろん、すでにその水域が完全にバスに制圧されているのならばリリースするに問題は生じないが、よほど小さな地域でもない限り、そのような終末的状況には陥っていないだろう。但し、瀬戸際にある水系が多いのもまた事実である。在来種の局地的滅亡を、指をくわえて眺めている理由もあるまい。それにまた、釣り人がリリースしないと絶滅するほど、バスはやわな生き物でもない。
     釣ったバスをリリースしない、つまり事実上殺すのが無慈悲だというのなら、最初から釣らなければ良い。そういった自制を働かせられるのが、ヒト種の強みなのではないか。かの投書子を含めて、世のバス釣り愛好家の大半はここを理解できていない。

     もうひとつ、バス釣り周辺の産業はどう保護される──あるいは保護されないのか。留意すべきことは、当該の規制法が、すでに在るバスをも根絶やしにせよと云っているのではないということだ。すなわち、既存のバス産業は護られているのである。ただこれ以上拡大させることは難しいかもしれないというだけのことだ。しかし、バス産業保護を唱えて規制に反対する輩は、規制が護ろうとしている在来種と、なによりそれによって成り立っている産業の行く末についてはどう考えているのか。
     ここでも先の投書子の浅慮が露見する。貸しボート屋ということは、客の多くはバス釣り人であろう。それゆえ彼がおのが生業を守ろうとする気持ちも理由も理解し得る。だが彼もまた、野放図なバスの拡散によって打撃を被る他の業種については、まったく思い及んでいないのだ。ただ自分の楽しみのためだけに反対を叫ぶ犯罪者どもに比べれば、生活がかかっている以上その心情に幾分かの同情を禁じ得ないが、とどのつまりは自己中心主義だ。いつから日本人は、このような為体を晒すような人種に成り下がってしまったのだろうか。暗澹たる世の中ではある。

     ちなみにブラックバスは美味しい魚だ。しかもタウリンを豊富に含む、今はやりの健康食品である。どうしても釣りたいのなら食しなさい。それはあなたの血となり肉となるであろう。そもそも鉄馬は食用としてバスを移入したのだから。

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