ESSAI
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革命とは止み難き情熱である

平成11.6.24

これはとある煽動演説の一部

 -----それゆえに、わたくしは、ここに偉大なる2人の革命家による言葉を、諸君らに提示せねばならぬ。
 それは始まりであって、また終わりの言葉でもある。
 凡そ、大義を忘れ、愚昧な大衆政治家や、帝国資本主義企業、そしてまた、空想的共和平和主義者という馬鹿どもの些末な抗争に手を貸して、無為に日々を過ごす全ての活動家たちは、己れに革命家としての資格も権利もないことを、今、はっきりと悟らねばならない。
 聴け、かの熱月9日、あの国民公会の空疎な会場に響き渡った、革命の申し子、美貌の殺戮者、恐怖の大天使ことサン・ジュストが、諸君らの如き理念と責務とを忘れ果てた無頼の徒輩に叩きつけた、あの冒頭の言葉を。
「わたくしはいかなる党派にも与しない、全ての党派を打倒するつもりだ」
 おお、党派という言葉に惑わされる勿れ! 国家と、革命の理念に邁進する全ての人間にとって、派閥ほどあってはならぬものはない。この崇高なる理念を成就するためには、選ぶべき手段も護るべき綱紀も存在し得ないのだ。そこに到るあらゆる手段と方策とを、序列づけて論らうことは、即ちそれだけ成就の秋を先延ばしにすることに他ならぬ。徒党を組み、他の党派との優劣を争うが如き労力と暇の分だけ、確実に理念への途を逸れてゆくことを知れ。団体を組織するは馴れ合いへの第一歩。個々人の腐敗を胚胎する党派それ自体が、既にして許されざる退行なのである。
 それゆえに、党派は2つとして必要ではなく、ただひとつの党派が存在を許されるとすれば、それは国家以外にはあり得ない。そして、ゆめ間違うこと勿れ、愚かなる人々よ、党派が国家になるのではなく、それ国家のみが厳然としてひとつあるを許されるのだ。既にして存在する全ての党派閥は、それゆえに打破されねばならぬ、未来永劫、断乎として!
 そして、全ての革命家は、その理念たる国家以外の目標も到達点も持ち合わせぬ。さればこそ、志半ばにして権威と権力との安寧に怠惰したフィデルに対し、今世紀最高の革命家エルネスト・チェ・ゲバラは、かく訣別した。
「勝利よ永遠なれ。国家か死か。革命家の情熱をもって、君を抱擁する」
 さよう、革命成就の暁には、彼らはすべからく退場を余儀なくされる。なんとなれば、革命国家そのものが目標であり、その後の彼らの存在は、ただ独裁者となるほかにないからだ。かつて全ての革命家が、その最終目標の眼前において、決定的に打倒し、忌避せねばならぬ、その独裁者に。
 今一度、諸君らの胸に問うがいい。己れは革命家でありたいのか、独裁者となりたいのか、あるいはまた、権力のおこぼれに与りたいだけなのか。連帯は生み出すものではなく、生み出されるものである。組んだ手をほどけ、党員証を廃棄せよ。ただひとつの理念と未来のために、おのが身を投げ出すがよい。その覚悟なき諸君らこそは、安逸の中に体制転覆を夢見る学生活動家と同類にして、唾棄すべき盲目隷従の大衆となんらのかわりなきことを、正しく知るべきなのだ。

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