ESSAI
depuis le 21 septembre 1998

    戦後強くなったのは・・・

    平成13.11.28



     もうひと月前のことだけれども、近所の公園でジョシコーセーをみかけた。昔ながらにキャッチボールやバドミントンに興じる子供らや、赤んぼの散歩がてらにうわさ話を交換するような奥様連中や、犬に散歩させているのかさせられているのかわからん隠居の群れが散在する、いわゆる市民の皆様の公園で、ジョシコーセーを見かけるのはそうありふれたことではない。その日は休日だったが、彼女たちはちゃんと制服を着ている。いつのころからか女の子たちは、お休みの日でも外出時には制服を着るのが当たり前になってしまった。いっぽう、男の子は私服である。思うに、彼女たちのそれはきっと戦闘服なんだろう。無意識のうちに自分の商品価値を高めるため、そうしているように思えて仕方がないのだが、まあ、そんなことはどうでもいいや。わたくしとしては男の子ももうちょっとおしゃれになってもらいたいのだが、たいしてバリエーションもない今の日本の制服じゃあどうにもならんか。たまにはハイウエストにシックなブラウスでも着てみやがれや。なにはともあれ相変わらずズボンをずり下げているのだけはなんとかならんか。そのかっこが似合うのは鳶のにいちゃんだけだぞ。
     くだんのジョシコーセー、渋谷や池袋あたりの繁華街でとぐろを巻いてる頭髪脱色目大根足科顔面ペインティング種とは異なる分類で、もしかすると中坊だったのかもしらんが、まあ、ありふれた郊外の高校生ぽくてなかなか好感が持てた。濃紺のセーラー、かざりっけのない白のソックスに黒のローファー。ちょっと前までは絶滅危惧種だったけど、つうか年寄りに好感持たれても大迷惑だろうけどさ。部活の帰りか、それともほんとにただ制服を着て遊びに行った帰りか、それはわからんが、箸が転んでもおかしい年頃(死語だよなこの言い回し)の仲良し2人組という風で、ベンチに座ってかしましくお喋りしていたのであるが、びっくりしたことに平然と足は上げるわあぐらは組むわ、そりゃ目も釘付け、じゃなくて当てられない姿態。きょうびスカート丈ってのは膝下ではなく膝上が基本なので、ええ、見えますよ、そりゃ。おまけに斜面のベンチだったからね。
     しかしまあてらいがないとゆうかはしたないというか、鼻の下のばしてやに下がるか血相変えて忠告申し上げるか、そんなこたあどうでもいいわけで、わたくし、こーゆーはすっぱな、もといあっけらかんとした女の子、好きですね。だいたいスカートであぐらかいて何が悪い。出っ歯の亀太郎根性から申し上げているわけでなく、女の子らしさ男の子らしさってのは後天的な、云ってみれば社会風潮によって形成されるものだから、絶対座標に定置できるもんじゃないのは先刻承知。嫁の貰い手がなけりゃ婿を捕まえればいいだけのことでして、口より先に手が出る足が出るはねっかえりでも、御しかたさえ心得てりゃかわいいもの。それをとやかく云うのは自分の無能を宣言して埒外に放り出すも同然なのである。ま、それを防御反応と云って、人間生きていくのに必要不可欠な意識行動形式でもあるのですが。
     ああ、それにしてもたまにペンを持つと、ちゃんとしたまんがが描きたくなってくるなあ。

    ESSAI-indexへ戻る


Copyright(C)2001 Yoshitane Takanashi