ESSAI
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ペリカンは自己犠牲のトリか?

fuente NO.15 98.12号掲載

 不幸というものは、大抵突拍子もなく訪れるものである。今から丁度1年前のことだ。あろうことかわたくしは、自分の会社内でオルガナイザをまるごと盗まれた。大枚はたいて買ったヤツだ。モンブランの165を差していた。しかし何よりも腹立たしかったのは、ペリカンの500まで持っていかれたことだ。こいつはどうにも癪に障った。この500はわたくしが会社に入って最初に買ったものだった。胸ポケットに過不足なく収まって、重すぎも軽すぎもせず、手の小さいわたくしのために誂えられたかと思えるくらいのシロモノである。折しも社員旅行、どうせ仕事が忙しくて旅行に行かなかったヤツの犯行なのだろうが、結局、手くせの悪い愛好家は発見できず、わたくしの500も165も、そいつの胸ポケットか陳列函に収まってしまったらしい。
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 ギュンター・ワーグナーが1878年に、今のペリカン社の商標として登録したのは、母子のペリカン紋章であった。西欧では母鳥が己の胸を裂いてその血でヒナを育てるという寓話のある、ペリカンである。随分と物騒な親鳥もあったもんである。バートリ・エルジェベエトだってそんなことはしないだろう。もっとも彼女は、浴びせるより浴びる方を好んだのだが。
 まあそんなことはどうでもよろしい。母子愛の象徴ともされるこの寓話、しかし元ネタは少し違う。2世紀頃成立したとされる「フィシオログス」という奇書によれば、親ペリカンは生まれたて(といっても胎生ではありませんよ。卵から孵ったばかりの、というイミです。)の子ペリカンと突っつき合いをして殺してしまい、後悔と悲嘆にくれて胸をかきむしった結果、溢れ出る血潮に浸されたヒナが蘇る、というのである。何だかこっちの方がより莫迦々々しい。しかもフィシオログスはご丁寧にも、この逸話にイエスの贖罪の話を結びつけてオチをつけてくれる。いやはや人間の想像力は何とも偉大である。偉大すぎて脇腹が痛くなるくらいだ。魚を祭壇に描いて得々とするぐらいのものだからな。しかし、ここで特定の団体を論うつもりはないので、もう止めておこう。
 さて、このペリカンの話にはまだ前段階があったのである。そもそも何故にペリカンは自らの胸を裂いてまで子を養わなければならなくなったのか。恐らく彼らがあの巨大な下クチバシに、半消化状態の餌を戻してヒナドリに与える姿から、想像を逞しうされたのかもしれないが、実はもっととんでもない飛躍がそこに隠されていたのである。
 そうなのだ。己れを傷つけて子を養うのは、別のトリだったのだ。ジョン・アシュトンが「奇怪動物百科」のペリカンの項で疑問を呈している通り、それはエジプトのハゲタカなのである。それがどこをどう間違えたのか、自分の血で子を育てるのはペリカンになってしまった。ハゲタカこそいい面の皮である。これほどの自己犠牲の手本を示したのに、後世その栄誉はペリカン風情にふんだくられてしまった。憤懣やる方ないとはこのことだろう。やはり、見た目に愛敬のある方が得をする、ということか。とはいっても伝説なんだから、ハゲタカには恨む筋合いもない。なまじ人間にちやほやされるよりは、畏怖された方が威厳を保てるというものだ。
 脊椎動物門鳥綱ペリカン目ペリカン科。世界各地の温・熱帯地方の湖沼・海岸に棲息し、最大級のオオペリカン(Pelecanus crispus)ともなると、全長2米弱に垂する巨大な水鳥である。地上歩行は鈍重で不様というに等しいが、ひとたび大空を舞えば時速80粁、飛行高度2500米に達する怪鳥である。およそ上野動物園なんぞでは見られない勇姿だ。残念ながら日本では動物園以外には棲息しないが、稀に迷鳥として飛来する。一名、伽藍鳥。なんだかありがたそうなトリではないか。イエスの喩えに結びつけられても納得のゆく名前である。
 生粋のペリカンは日本には棲息しないと書いたが、仲間ならいる。ウがそうだ。どこがどう仲間なんだといわれるとツライところだが、水鳥で魚を補食しているところなんかが似ている。じゃあカモの仲間とはどう違うんだというと、ヤツらの足は前向き3、後ろ向き1の足指を有っているが、ペリカン目のトリは4本とも前向きで水掻きでつながってるんである。ダマされている気がしないでもないが、分類学てのはそんなもんだ。文句がある方は国際リンネ協会にでもねじ込んで下さい。
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 あれからペリカンとは縁のなかったわたくしであるが、最近ラインナップが一新されたときいて、慌てて旧版の500と800を買い求めてきた。800は今まで一度も手にしたことがなかったシロモノで、まあいつでも買えるからいいやとばかりに放っていたのだ。しかしいざ使ってみると、なかなか握り心地が良く、モンブランの149を凌ぐかとも思われるくらいである。わたくしは大のモンブランびいきなのであるが、いかにもドイツ気質に角張っていて、武骨と華美の危うい均衡上に屹立するかのような緑や青縞の軸をもつペリカンもまた、わたくしにペンを持つ無上の愉しみを与えてくれる大事な作品なのである。今年、ペリカン印誕生から満120年。

left:
Pelikan The Souveraan #800
\55,000.-
right:
Pelikan The Souveraan #500
\30,000.-
fountain pen
Pelikan



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