ESSAI
depuis le 21 septembre 1998


モーツアルト頌

fuente NO.8 96.8号掲載

 モーツアルト!
 サリエリの絶叫から第二十五交響楽によって始まる映画「アマデウス」をごらんになった方もいると思う。神童ウォルフガング・アマデウス・モーツアルトの、ご都合主義的偶像を打ち毀した本映画は、公開当時センセイションを巻き起こした。天衣無縫と云うも憚かられるその下品、放埒、乱行ぶりは、しかし今日では聊か正しくなくもないモーツアルト像として通説になっている。四歳でバイオリンを弾き始め、五歳で最初の協奏曲を、九歳で交響曲をものしたウォルフガングは、宮廷音楽華やかなりし十八世紀ヨーロッパに新風を吹き込み、一躍時代の寵児となった。軽妙洒脱な彼の音楽は、大革命前夜の爛熟、糜爛した貴族生活を髣髴とさせながらも、その高度なまでの完成度と調べとによって、今なお多くの人々に愛されている。モーツアルトよりひと回り年下のベートベンを好む大概の人々に、しかしながらモーツアルトの音楽を軽佻浮薄と難ずる向きが多いのは、恐らく楽聖が努力の人であって、神童が天才であったからであろう。すなわち世人は、天才よりも秀才を好むものである。なんとなれば秀才は、努力と研鑽とによって到達しうるところにあって、片や天才は、天賦の才なくしては駈け登りえぬ高みにあるからだ。
 かくして宮廷音楽長アントニオ・サリエリの嫉妬がモーツアルト暗殺に結びつけられる伝説の、胚胎がなされる。現在では無根拠のこの説は、ロマンを求める人々によって空想され続け生き永らえ、「レクイエム」を巡る神秘的な逸話と相俟って、数々のモーツアルト伝を生み出してきた。先の映画もそのひとつと云える。神に裏切られ信仰を擲ったサリエリの、天才への愛憎の果てにこれを破滅させんとするその姿に、世間の凡人の悲哀を見出すのは、しかしロマンティックであっても陳腐であろう。サリエリは決して挫折した音楽家ではない。不滅の愛を享けることができなかったまでのことなのである。
 十四歳にして門外不出の聖歌を、ただ一度聞いただけで採譜した天才ウォルフガング、親元を離れ、放蕩児の如く帝都ウィンに遊び、数多の名曲を遺したモーツアルト、死の間際まで鵞ペンを手離すことなく、歌劇「魔笛」、絶筆「死者のためのミサ曲」を五線紙に刻みつけたアマデウスは、夫と同じく不品行の妻コンスタンツェを愛し、貴族社会の中にあって柳に風とたゆたい、日々の暮らしに喘ぎながらも、ただ子供の如く無邪気であり、我が意の赴くままに作曲し、困窮に死した。思えば世の芸術家は常に幼児的であり、不屈の人ルートウィヒ・ベートベンも頑固な点では子供に劣らない。さればこそ三十五歳で夭折したモーツアルトは、ただその享年だけではなく、享楽的に生き、音楽と酒と色に生き、天真爛漫なる楽曲をものしたことで、神童と称せられたのであろう。
「レクイエム」は続唱セクエンティアの第九小節、涙の日ラクリモザの中途に絶たれていたと云う。lacrimosa dies illa, quaresurget ex favilla. judicandus homo reus, huic ergo parce, deus. pie Jues Domine, dona eis requiem. (涙の日よ、かの日は灰の中よりよみがえりぬ。人はその罪ゆえに裁かれたる、ゆえに神よ、彼を赦し給え。慈悲深きイエスよ、主よ、彼らに安らぎを与え給え。)
 モーツアルト! 彼はまことに神の寵愛(Ama-Deus)に生きたのである。


Homage a W.A.Mozart
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MontBlanc(R)

on the scorebook of REQUIEM by W.A.Mozart
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Copyright(C)1998 Yoshitane Takanashi