ESSAI
depuis le 21 septembre 1998


人間はおしゃべりな葦であったりする

fuente NO.9 96.12号掲載

 ブレーズ・パスカルはその著「パンセ」の347で、「人間は一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と書き綴った。人間の偉大さは思考するところにありと喝破したわけだが、それ故に「吾思う。故に吾あり」などと回りくどいことを云うデカルトを、「無用にして不確実」と断罪する。全く、デカルトよりはビアスの「吾思うと我思う。故に吾ありと吾思う」の方が慥かであろう。
 まあ、そんなことはさておき、考える葦とはよく云ったものである。人間が言葉をもって考え、その考えを書き留めんとした時、まず用いたのが尖筆であり、葦ペンであったからだ。
 最初に葦ペンを用いたのは古カルデアのシュメール人、ウルクのニンシュブルであったのはまっかな大ウソで、わたくしごときが知っている筈もない。だが、粘土板に楔形文字を刻んだシュメール人ではあったことだろう。もちろんそれは尖筆と同じ構造で、フィードなんてしゃれたものなぞついてはいない。フィードのあるペンを用いたのはパピルスにヒエログリフを記したエジプト人だろうか。初めは尖った葦ペンをインクに浸して使っていたのだろうが、そのうちに先端に割れ目を入れるとインクの流れが良くなることくらいは気づいたことだろう。
 それから書くもの書かれるものに、様々な素材が使われ始める。石、粘土板、パピルス、蝋版、木、竹、絹、羊皮紙、木綿紙、東洋紙・・・それらの上に揮まわれるものは鉄筆、木筆、葦ペン、羽ペン、毛筆、木炭・・・
 素材の変遷は風土的理由によるものから、技術的、政治的原因と様々である。ペルシアで羊皮紙が発明されたのは、当時交戦状態にあったエジプトから、パピルスが入手できなくなったためとも云われる。
 中世、欧州において紙はまだ貴重なものであった。かといって羊皮紙もそうおいそれとは手に入るものではない。また文字を書くことのできる人間もざらにいるわけでなく、必然的に書写技術は当時の学問の中枢、即ち僧院内に昇華する。今でこそ一年間に人が生涯かけても読破しきれない程の書物が世に現れ、そして消えてゆき、すっかり有難みというものはなくなった感があるが、当時は一冊々々手間ひまかけて黙々と手作られていった本である。僧院から僧院へ、大学から大学へ、求学者たちは貴重な一冊を求めて危険を冒し、旅を続けた。全く、その僅か一冊にこめられた努力と執念を思えば、世に悪名高い書物の三大災禍(つまり始皇帝の焚書、アレクサンドリアの焼失、コンスタンチノポリスの失陥)に思いを馳せるにつけ、血反吐が出んばかりに無惨無念である。
 さて、本の話はまたいずれとして、筆記具の話に戻るとしよう。中世以来の筆記具と云えば、羽ペンである。葦ペンも使われていたようだが、浅学非才なわたくしめがまず第一に思い浮かべるのは、やはり何と云っても羽ペンである。手入れの悪い鳥の巣あたまにしかつめらしい顔して上目遣いに睨むルイことベートベンが右手に持っている(さて、彼は左利きだっけか?)、あの羽ペンである。かつてわたくしもとある湖畔で拾った家鴨か何かの羽でペンを作ってみたことがある。剃刀があれば結構簡単に作れるもので、これをインク壷に浸して紙上に文字を書いてみると、なかなか面白い。生憎わが手製の羽ペンは腰が弱すぎる上にインクの含有度も悪く、とても長文を書くに耐えうるシロモノではなかったが、何かしらん、中世の哲学者めいた気分になって、これで傍らにしゃれこうべでもあれば、そもグリューネワルトの作風は、だの、汝死を思って人生の虚飾に刮目せよ、だのと莫迦げた文章を綴ってみたくもなる。昔伊東屋に羽ペン製作用の羽が売っていたが、みごとに蛍光ピンクに着色されていて(それともそういうトリの羽だったのかしらん)、とてもデカルトの真似ごとなんぞできそうにもなかったので諦めた覚えがある。フラミンゴでもあるまいに、ピンクの羽ペンじゃあデカルト先生もサマにならず、フランシーヌと夜っぴて踊り狂うのが関の山だ。




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 かの羽ペンはそれきりお蔵入りになっちまったが、実用は二の次として今作ってみたいのはカラスの羽ペンである。なに、ガラスの、ではない。近頃人様をお騒がせ申し上げたカラス君の、である。このカラスというトリは観察しているととても面白いトリで、一日中眺めていても飽きさせない。田舎のカラスは近所の畑を荒らして田吾作どんに逐い払われる程度のものだが、都会に棲みついたヤツは食事に困らないのか、いっちょまえに余暇を愉しんでいる。光りモノのコレクターとして名を馳せるのは序の口で、東海道の方では線路に石を置いて悪戯をするカラスがいたが、なるほど、わたくしだってメシに困らず文章も書けず、ひねもす遊んでいるだけだったらそれくらいの悪さはしかねない(それは不謹慎だってか)。あの騒ぎ以来ふつりと悪戯の話もきかないところをみると、カラス君もさすがに飽きがきたのであろうか。しかし侮るべからずコルニクス・ルーデンス、じきに彼らも文明を築き上げるやもしれぬ。
 さて、カラスと云えばオーストリアの方に奇妙な人間がいて、カラスを飼って一冊本を書いた人がいた。今では動物行動学の創始者扱いだが、たまたま学術的な文章を幾つか書いてみただけのことで、世が世なればチロルの一画に「どうぶつ王国」なんか築いちまってもおかしくはない人物であった。名はコンラート・ローレンツ。思えば彼にあくがれて心理学を専攻したわたくしであったが、何をどうまちがえたのか今はゲーム会社なんぞに勤めている。かように人生とはまこと数奇なものではあるが、二十代の若造が云ってもてんで重みのない科白ではあるな。いや、そんなことはどうでもいいか。
 カラスの羽ペンである。そう、カラスの羽ペンなのだ。緑なす漆黒の風切羽から流れ出すが如き流麗な墨蹟。考えてみただけでもぞっとするほど美しくはありませんか?
 美しくない。じゃあしょうがない。それではいずれ日を改めてペンと紙の話でもさせていただくとして、今回はこの辺にて・・・


おまけ:
フランシーヌてのはデカルト先生の愛娘の名前で、夭折したのを嘆いて娘そっくりの自動人形、今で云うアンドロイドを作らせ、「わたしのフランシーヌ」といって可愛がっていたのは有名な逸話。ま、それくらいのことができなきゃ哲学者になる資格はないっつうことですかね。

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