ESSAI
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シボレー年代記:1904-1911

the Auto Editors of Consumer Guide

 すべてはウィリアム・クレイポ・デュラントとともに始まった。この優れた馬車製作屋で、かつての葉巻販売人は1904年にビュイックの経営権を買い、それから4年後、オールズモビルの獲得をもってゼネラル・モータースを設立したのだ。すぐにキャデラックとオークランド(ポンティアックの前身)ディビジョンが、僅かな資産とともにこれに加わった。だが、そう時間をおかずにこの駆け出しの企業は、深刻な経営危機に陥った。

 いくたりかの自動車製造業者の統合は、デュラントにとって新しいアイデアだった訳ではない。早くも1907年には、彼の目標は全自動車工業を支配下に置くことだと、同僚にそっと打ち明けていた。彼の最初の試みは、ビュイック、フォード、マクスウェル、レオを含む自動車連合だったが、ヘンリー・フォードは金銭的見返りを要求し、ランサム・オールズもそれに倣った。かくて計画はお流れとなってしまう。

 しかしデュラントは世界征服を諦めた訳ではない。ゼネラル・モータースのトップとして、彼は長い時間働き続けた。時にはほんの僅かしか、あるいはまったく眠らなかった。重要な経営会議を朝早くに設定するのは、彼にとって特別なことでもない。一例を挙げれば、オールズ・モーター・ワークスの買収は夜明け頃に決定された。その会議は午前3時に始まったのだ。

 この苛烈な仕事ぶりは、あまりに野心に満ちた拡大政策が、GMに早くも財政問題を惹き起こしていたことの顕れである。デュラントはウェルチのような膨大な資産まで買収し、彼の信用債券は限界にまで達した。ウェルチは7000ドルもする最高品質の、それによって販売することなどほとんど不可能になってしまった自動車を作っていたのだ。加えて彼は他にたくさんの怪しげな企業まで手に入れた。ランドルフ、レイニエ(のちに不運なマルケットに変わる)、二輪のエルモア、フリクション・ドライブのカーターカー、タクシーのエビング。すべて負け犬であった。

 1910年7月中旬までに、ゼネラル・モータースはボストン・ファースト・ナショナル・バンクから7百万ドルの借金を抱え込み、早晩、融資は停止された。債権者たちはビュイックには残す価値があると考えたが、その他は清算すべきだと勧告した。そのとき老いぼれたヘンリー・リーランド(キャデラックの創設者であり、のちにリンカーンも誕生させる)は、必要な出資金──もちろんかなりの利率で──を与えてGMを救済するよう、銀行家たちを説得した。条件はデュラントの退任であり、彼はそれに従った。

 だが相変わらずも、デュラントは挫けなかった。彼はGMの役員会に残る代わりに、以前のビュイック部門ゼネラル・マネージャーであるウィリアム・リトルと早々に手を組み、リトル・モーター・カンパニーを組織したのだ。1912年に発表されたその最初のくるまは、690ドルのロードスターであり、同じクラスのフォード・モデルTより100ドル以上高かった。

 しかもなお1911年には、11月3日に登記されたシボレー・モーター・カンパニーの設立にデュラントは手を貸していた。その最初のくるまは、パートナーの1人であり、世界的に著名なレースドライバーであるルイ・ジョゼフ・シボレーが経営するデトロイトの整備工場で開発された。ルイと彼の兄弟アルトゥールは1907年、ビュイックのレースチームでトップドライバーを務めていたことがあった。

 スイスはラショオ・ド・フォンで1878年のクリスマスに生まれたシボレーは、フランスで成長期を過ごした。彼の家庭は貧しかったので、ルイはほとんど正式な教育を受けられなかった。彼はワイン醸造所で働く傍ら、バイクの修理技術を独学で身に付けた。やがて彼は自動車修理工となり、移民としてカナダ経由で合衆国を訪れたのは1900年のことである。彼はそこで修理工の働き口を見つけ、5年後にはレースを始めて、恐れ知らずのドライバーとしての評価を固めていった。

 一方ゼネラル・モータースに話を戻すと、暫定的に代表職に就いた銀行家のジェームズ・J.ストロウは、ビリー・デュラントが遺して行った錯綜極まりない事態の整理に邁進した。デュラントがかき集めたかなりの部分、レイニエやウェルチと云った部門は最終的に放棄された。しかしキャデラックの業績は上向きだったし、オールズには未来があると──そして実際その通りになったのだが──ストロウは信じていた。

 デュラントは疑いもなくそう思い描いていたのだが、追い詰められたゼネラル・モータースが世界最大の自動車帝国になるとは、当時ほとんどの人間は予想できなかった。もちろん、この巨大な企業の運命が、ひとたびは明日をも知れないと思われたいち自動車メーカーの驚くべき成功に支えられようとは、想像もできなかった。シボレー、それがその名前である。

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