ESSAI
depuis le 21 septembre 1998

CHEVROLET CHRONICLE: Chevy II Nova

the Auto Editors of Consumer Guide

1962

コンパクトカー、シェビイIIが登場。

コルベアに代わってシボレーコンパクトカーの主力となった62年型シェビイIIは、大成功を収めたライバルのフォード・ファルコン同様、シンプルでオーソドックスな作りだった。トップレンジはこのおしゃれなノバ400コンバーチブルで、23.741台が生産されたと見られる。

「サタデーイブニングポスト」誌の広告では、この新型車を「元気いっぱいのファミリーサイズカー、シェビイII」と謳う。広告に掲載されたラインナップはハードトップとノバ400クーペだけで、後者は62年度に59.586台が生産された。

簡素なボディサイドからシェビイIIで一番売れ筋の100シリーズだと判る。この2ドアセダンの他、4ドアとワゴンがあった。いずれも標準は直4エンジンで、120馬力の194cid直6もあった。

シェビイIIはデビューの年にコルベアを販売台数で上回ったが、その数約32万7千台と大衆受け したフォード・ファルコンを超えるには至らなかった。ここに掲載するのは中級クラスの300シリーズ2ドアセダンで、お値段は2.084ドルから。

ノバ400を除くシェビイIIの標準エンジンは、シンプルだが頑丈な新型直列4気筒エンジンだ。この形式は1928年以来のことである。効率のいいショートストローク型で90馬力を発揮し、しかも極めて燃費がいい。直6のシェビイII同様「ツリー状」シフトパターンの3速マニュアルか、新しく軽量化されたおなじみのパワーグライドA/Tと組み合わされる。

シェビイIIは低価格路線として設計されたから、オーソドックスなFR形式でシンプルなリーフスプリングのリアサスペンションを持ち、全般に亘ってコストダウンが図られた。ベーシックモデルの100シリーズは実用一辺倒で、内装はごらんの通り簡素な仕上げだ。お陰で販売は上々の滑り出しを見せた。

1963

シェビイIIノバにSS仕様が追加された。

基本的に63年仕様に変化はなかったが、コンパクトカーのシェビイIIには新しいオプションとして専用のSSパッケージが設定された。これはノバ400スポーツクーペ(上写真)とコンバーチブル向けである。161ドルのオプションは上に見る通り、SSエンブレムとベルトラインのモールディング、シルバー仕上げのテールライトパネルからなり、さらに42ドルの追加オプションとしてスピンナー風ハブキャップを持つ14インチホイールがあった。

新しいフロントグリルとトリムが63年式シェビイII全車をおめかしした。この6人乗りノバ400はベースプライス2.492ドルだ。この年のシェビイIIの販売数は375.626台に増加した。

1964

シボレーは64年モデルを230万台以上生産し、新記録を達成。

シェビイIIは64年モデルで再びマイナーチェンジを実施。しかしミッドレンジの300とノバ・コンバーチブルがラインナップから落とされ、セールスも191.700台と振るわなかった。恐らくこれは、より大きくてちょっとばかり豪華なシェベルとの「共食い」による。このノバ4ドアセダンは2.243ドルからで、64年モデルから新たにノバ全車の標準仕様となった6気筒エンジンを持つ。

1965

シボレーの販売数は240万台弱と記録を更新。

シェビイIIは65年モデルでまたも細部を変更したが、195馬力283V8とともに64年来の250乃至300馬力の327がオプションとして復活した。その大部分はこのSSスポーツクーペ(9.100台が造られた)のようなノバに搭載された。

売れ筋ではなかったにしろ、65年式シェビイII1002ドアセダンは信頼性の高い経済的なトランスポーターとして2.011ドルと云う低価格で提供された。シェビイIIの全販売台数は約12万台と落ち込んだ。

1966

シェビイIIとシェベルにスタイリッシュなフェイスリフトが施された。

66年式シェビイIIノバSSスポーツクーペは23.000台が造られ、そのほぼ3/4がV8エンジンを積む。ノーマルより太いタイヤが、この美しいくるまが327オプション付きであることを示している。このオプションは再び275か300馬力、もしくは激烈な350馬力を発揮する。新しい丈の低いボディはシートメタル製で、62年のベースボディをリファインしたものだ。同様にハードトップは「より速そうな」ルーフラインを形作っている。この新しいルックスは、同年度のシェビイII販売数を約165.300台にまで押し上げた一要因でもあろう。スタンダード仕様のV8を積んだノバSSは、2.535ドルと云う魅力的な価格から提供された。

シェビイIIは66年モデルで再び2種類の4ドア6人乗りワゴンをラインナップした。写真のノバはバージョンアップして標準の6気筒エンジンで2.518ドル。V8なら2.623ドルからだ。

1967

スーパースポーツトリム同様シェビイIIノバ・スポーツクーペは、同じ67年式の大部分に比較してやや保守的に見える。モデルイヤーの生産台数は10.100台にまで減少し、うち8.200台が標準の327V8を搭載した。

またもお得な小型万能車に相応しくなった67年式シェビイIIノバ・ワゴンは、6気筒で2.566ドル、V8で2.583ドルだ。後者は何台かが小規模な運送業者によっても発注された。

1968

新しいボディとスタイリングが、シェベルとシェビイIIを若返らせた。

シェビイIIは1968年に至って、ほぼインターミディエイトサイズとなった。新設計のホイールベース111インチのシャシーはシェベルにも供されたものだ。ラインナップからは2ドアと4ドアのノバセダンが落とされた。写真の2ドアはSSパッケージにだけ用意され、295馬力の350V8エンジンとワイドタイヤ、特別製ボンネットにブラックアウトしたグリル、それとロッカーパネルトリムを装備する。これらはこの年6.571台分が投入されて、シェビイII全車の総数は201.000台に達した。

1969

ノバの人気によって、シェビイIIの名前は1969年をもって消滅する。4気筒と6気筒、それにV8の3種類のエンジンと、1種類だけのトリムが、4ドアセダンとシボレーが通常クーペと呼んでいる2ドアの姉妹車(写真)に与えられた。モデルイヤーのセールスは252.000台近くにまで上昇。ノバのXボディはシボレー専用となった。

1970

1970年式のノバSSは69年モデルから少しだけ変わった。依然として300馬力の350が公式オプションのトップエンジンだったが、ごく少数のシェベル396(元の402)用がこの2ドアコンパクトカーに装備された。

1972

ノバのセールスは1972年に至って急増する。その安くて経済的なトランスポーターという性格に惹かれた新しい購入層のお陰だ。事実、シボレーのコンパクトカーに対する需要は79,5%増の35万台弱に達した。ここに挙げるのは2ドアの「スポーツクーペ」セダンで、標準のV8エンジンとビニールループトップが選択できた。

この2ドアの72年式ノバ・ベーシックモデルは、上のモデルに比べて極めてシンプルである。しかしそこには価格とスペースユーティリティと快適さを巧妙に織り込んで、たった2.351ドルで提供された。GMの他の部門は、たぶんノバの終始高い人気を羨ましく思ったのだろう、彼ら独自のバージョンを投入すべく巧く画策した。その最初のモデルがポンティアックの新型71年式ベンチュラだ。オールズモビルとビュイックは73年に参加する。それでもなおノバは、それらグループ内のクローン車を販売数で上回り、コンパクトカー市場で侮り難い3位に君臨し続ける。

1973

73年度のコンパクトカー、ノバは化粧直しを施され、重たげな5マイルバンパーと丸みを帯びたボディライン、ハッチバックスタイルを持ち、より装備の充実したカスタムモデルも用意された。

ノバの実験的な新型73年式ハッチバッククーペの別のショット。このカスタムモデルは2.701ドルからで、ベーシックモデルの約200ドル増しだ。この年ノバのセールスは最高の369.509台を達成した。

ノバ・ハッチバックは「省スペース」スペアタイヤを採用してトランクルームを拡大した。これは73年当時でもまだ珍しいものだった。この高い多用途性にも拘らず、ハッチバックは独立した狭いトランクを持つ普通の2ドアセダンに販売数で負けてしまう。

1974

大きくなったパーキングランプ、グリルのボウタイエンブレム、そしてでかいリアバンパーが74年式ノバ・クーペの特徴だ。これはノーマルおよびカスタムのセダンも同様である。全国的なガソリン不足はノバのセールスを新記録となる390.537台に押し上げた。もっとも、大多数の購入者は今や350cidに拡大された高いV8を選択したが。クーペには依然として140ドルのSSパッケージが用意され、21.419台がこれを装着した。

1975

ノバはフルモデルチェンジした。

ニュースタイルのGM Xボディは75年式ノバを若返らせた。ロードホールディングはカマロのサスペンションを流用したお陰で向上している。シボレーは優美なLNモデル(ラクジュアリ・ノバ)を加えて、なおもコンパクトカーの上級市場に攻勢をかけた。上の写真がクーペ、右がセダンだ。これらは販売に貢献はしたものの、この年のノバの販売台数は急激に30%も落ち込んで272.982台であった。

1976

シボレーは1976年度のポリスカー販売冊子の表紙にノバを採用したが、大部分の司直は依然として大きなくるまのほうを選択した。

ノバ・クーペは1976年にも未だSSオプションを用意していたが、それはスーパースポーツと云う栄光の日々の幽かな残滓に過ぎなかった。これにはラリーホイールとボディ下側のコントラストをなすストライプ、それにフェンダーバッヂが含まれる。LNモデルはコンクールと名を変え、多少なりともマシな販売実績を挙げた。事実、ノバの全販売台数はこの年22,6%増の334.728台であった。

76年のノバのラインナップは、スタンダードと上級向けのコンクールと云う2グレードからなる、3種のありふれたボディタイプに統合された。これはコンクールの4ドアセダンで、V8エンジン仕様だとベース価格で3.995ドルだ。

1977

クーペとセダンの2タイプが選べたクラシカルなコンクールは、1977年もノバのトップグレードを担った。フロントベンチシート付きのノバは、新たにダウンサイズされたインパラより1400ドルも安い6人乗り自家用車だ。シボレーのパワフルな170馬力350V8がオプションであり、それがロサンゼルス郡保安当局が222台の特別装備の76年式セダンを発注した一因でもある。それに感化されて他の役所も同様のノバを発注した。

1978

低価格のノバ・カスタムは78年、ノバ・コンクールに取って代わられた。ノバのセールスは288.100台に沈み、シェビイシリーズだけが販売数の低下を示すことになった。ノーマルとカスタムのノバは、水平のバーを持つリデザインされたグリルを共用する。

1979

ノバが生産中止となる。

ノバの79年モデルイヤーは極めて短かった。生産は1978年11月に事実上終了していたのだ。79年の春には、早めの80年モデルとして登場した新しいFFのサイテーションに取って代わられた。

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