ESSAI
depuis le 21 septembre 1998

CHEVROLET CHRONICLE: Corvair

the Auto Editors of Consumer Guide

1960

シボレーは輸入車に対抗すべく、小型のリアエンジン車、コルベアを送り出した。

米国民が経済的な輸入車への興味をいや増していた1960年、デトロイトのビッグ3は小さくて全く新しい「コンパクトカー」を登場させてそれに対抗した。中でもシボレー・コルベアは、その設計思想において最も尖鋭的で、「欧州的」だった。エンジンはフォルクスワーゲンのような空冷水平対向式でリアに積まれたが、4気筒ではなく6気筒で、140cidから標準で80馬力、オプションでは95馬力を発揮した。変速機は3速マニュアルか、ダッシュボードに配されたセレクターでシフトする、2速パワーグライドオートマチックである(写真上)。

コルベアにはクーペと4ドアセダンがあり、シンプルな500とちょっとだけ豪華な700の2レンジからなる。このセダンのように全周を取り巻くクロームラインが700の特徴で、価格帯は2.103ドルから始まった。全車ともホイールベース108インチ、全長180インチである。ヨーロッパの大衆車よりは大振りだったが、コルベア・セダンは小さなドイツのNSU車によく似ていた。ライバルの米国製コンパクトカーと違い全輪独立懸架式──のちに論争のタネとなった──で、リアはコイルスプリングの代わりにトーションバーを用いるスイングアクスルだ。広告では、コルベアのエンジンは「エンジンがあるべきリアにある」と云う。エドワード・N・コールはエンジニアリングに傑出していたのだ。

シボレーは1.984ドルのコルベア500に対し、60年型700クラブクーペには2.049ドルの値札を付けた。モデルイヤーの全販売台数は25万台超で、フォードの保守的なファルコンを別とすれば悪くない成績と云える。ファルコンは同じ年、ざっと43万5千台を記録した。

こちらは1960年型コルベア700クーペの別角度のショット。シボレーがシーズン後半の追加バージョンとして、ビニールバケットシートとカスタムトリムを与えて仕立て上げた900モンザと同じくらいスポーティだ。モンザは700の36.562台に対して11.926台を売ったが、後年の実績に比べれば大したことはない。

1961

コルベアにワゴンとトラックが追加された。

シボレー・コルベアはエコノミーカーとして導入されたのにも拘らず、バケットシートを装備したモンザのデビュー以降、手頃で実用的なスポーツカーとして売上げを伸ばして行った。世情の好みを反映して、GMデザインチームはこのレーシーなセブリンク・スパイダー・クーペを1961年の自動車ショウに送り込み、高まりつつあったコルベアの「ドライバーズカー」としての評判に拍車をかけた。

通常の61年型コルベアのラインナップには、2種類のレイクウッド・ワゴンがあった。オリジナルのデザインを一部活かしてある。これはよりファンシーな700版で、2.266ドルの500レイクウッドに対してベース価格で2.331ドルする。コルベアワゴンの同年総生産台数は26.042台で、そのうち700は5.591台に過ぎない。

1962

新型コルベア・スパイダーにターボエンジンが用意された。

チャンピオン・コルベット・レーサーのジョン・フィッチは大のコルベア好きだった。1962年にはフィッチ・スプリントの名前で、最初のハイパフォーマンスかつドレッシーなモンザ・クーペのチューニングバージョンを開発、コネチカットにある彼の会社ではコンプリートカーを販売した。破格の29ドルと云う彼のエンジンキットを装着すると155馬力を絞り出せ、0-60mphのタイムは9,5秒前後だ。

62年型フィッチ・スプリント・コルベアの「セールスポイント」近影。たまげるような値段の割には、めいっぱいのパワーが出せるようギリギリまでチューンされた4キャブレターまでキットに含まれる。

コルベア・レイクウッド・ワゴンは1962年にもラインナップされたが、伸び悩む販売実績のために翌年までは続かなかった。中でももの凄くレアで、一番好ましいのは新しい62年型モンザ・レイクウッドだ。クーペとセダンのスポーティなオプションは全部付いて来て、ベース価格2.569ドル。2.362台こっきりが製造された。コルベアの145cidフラットシックスには3つのバージョンがあり、スタンダードが80馬力、オプションが102馬力(95〜98馬力からアップした)。そして新型モンザ・スパイダーは180馬力のターボ付きが標準である。

1963

コルベア・スパイダーは1962年には少数が作られただけだが、1963年モデルはもっと多く生産された。オプションパッケージの価格は317ドルで、この写真のようなモンザクーペに11.627セット、コンバーチブルには7.472セット組込まれた。前年はそれぞれ6.894台、2.574台である。

62年に新型となったコルベアのコンバーチブルボディは、63年にもモンザとモンザスパイダーに設定された。このスパイダーは再び150馬力を発揮し、他のコルベアは標準で80馬力、オプションで102馬力である。ここに掲げるのはケルゼイ=ヘイズのワイヤスポークホイールを履き、レーシングスタイルのノックオフピンが付いている。このファクトリー純正オプションは404ドルで63年型全車に設定された。

コルベアの顔は、60年代に入って採用された大きく翼の付いたシェビイ・ボウタイロゴのトリムを受け継いでいる。61年の全周に亘る細いクロームストリップと、62年のダミーエアベントに代わって、このラグトップ付きモンザ・スパイダーのように幅の広いシェブロンがヘッドライトの間に配置された。コルベアの生産台数は62年モデルの約29万25百台を境に、25万46百台付近まで減少した。これにはグリーンブライアー・バンの数は含まれていない。

金属製のかたつむりにも似たモンザ・スパイダーのターボチャージャー装置は、リアのエンジンベイの前側、インマニのすぐそばに配置された。この「高回転」エンジンは強化されたクランクシャフト、クローム鋼のピストンリング、特別製のバルブと3バレルサイドドラフトキャブレターを持ち、圧縮比は8.0:1だ。

現代のミニバンの先駆者とも云うべきコルベア・グリーンブライアー・スポーツワゴンは、2年目の63年モデルでちょっとだけ価格が変わり、2.655ドルから。販売数はほんの13.761台だ。

1964

コルベアの生産量は減少した。

コルベアの60年から続くオリジナルデザインは64年で終わる。モンザ・スポーツ・クーペを含む64年モデル全車のハンドリングは、新しくリアサスペンションに追加された「キャンバー補正機構」によって著しく向上した。

64年型コルベアはさらに大きな164cidの「水平対向」6気筒エンジンを積んだ。標準で95馬力、オプションでは110馬力を発揮する。スパイダーの出力は代わらなかった。このラグトップコンバチモンザは31.045台のうちの1台で、スパイダーは4.761台が作られた。

1965

コルベアとフルサイズシェビイが完全にリニューアルされた。

65年型スポーツタイプのコルベアは全速度域での安全性を向上させた。徹底的に改良されたサスペンションはこの写真が強調するように、その信頼性を高めている。恰もラルフ・ネイダーが初期型コルベアへの批判を始めた頃だ。

ロン・ヒルによって拡大されたボディスタイリング。65年型コルベアはGMのチーフデザイナー、ビル・ミッチェルが先鞭をつけた優美な曲線とふくらみを持つボディを与えられた。クーペとセダンはともにピラーレスとなり、ホイールベースも全長もそれほど変わらなかったが、全体的に大きく見える。「ちょっぴりのセンスと落ち着きのある品位がうまく融和している」と「モータートレンド」誌は新型を評した。2.066ドルのスポーツクーペは500台。写真のモンザは2.347ドルで、新型のコルサは2.519ドルだった。後者はスパイダーの後継車で、180馬力を発揮した。

ジョン・フィッチは再びコルベアベースの魅力的な65年型スプリントモデルを、キットとコンプリートカーの両方のカタチで提供した。「フライング・バットレス」と呼ぶ帆のようなCピラーのスタイルが、シボレーオリジナルとの違いだ。

1966

コルベアの販売成績は安全性論争のために急落した。

第2世代のコルベアは2年目に入ってもほとんど変わらなかったが、唯一、セールスだけは約半分にまで落ち込んだ。写真のモンザ・クーペは一番良く売れたモデルだ。

コルベアのベーシックモデルである5004ドアハードトップは、ベースプライス2.157ドルにも拘らず、66年に僅か8.779人の顧客しか獲得できなかった。このため、シボレーはコルベアの改良開発作業を中止することにした。

この66年型コルベアモンザコンバーチブルは10.345台作られたうちの1台だ。ターボチャージャー付きコルサはたったの3.142台である。2代目コルベアは初代よりもずっと熟成されたと考えられていたのにも拘らず、操安性不良に対するラルフ・ネイダーの攻撃が公衆の関心を惹いたことが、コルベアの販売曲線を一挙に下落させた一番の要因だ。モンザは再び95馬力となり、オプションで110もしくは140馬力となった。いずれも164cidのフラットシックスである。

不便なつくりの狭いトランクスペースは、ありふれたフロントエンジンコンパクトカーに対して、リアエンジン式のコルベアが持ち続けたハンデだった。シボレーのエンジニアはフロントのフロアを低くし、スペアタイヤをエンジンの上に逐いやってスペースを稼いだものの、このハンデは第2世代モデルにもつきまとった。一方でリアエンジンレイアウトではフロント荷重は軽くなり、パワーステアリングを不要としたし、また室内のフラットなフロアは、大きさの割に平均よりも広いレッグスペースをもたらした。興味深いことに108インチのホイールベースは、66年型コルベアをコンパクトカーではなく、現代のスタンダードサイズに相当するミッドサイズカーにしてしまった。

1967

コルベアのラインナップからターボチャージャー付きコルサが消えた。

コルベアはターボエンジンと最もスポーティなコルサを67年モデルから落とした。これらの需要が減ったためであり、このモンザ・コンバーチブルが2.540ドルのトップモデルとして残された。これはちょうど2.109台が生産された。コルベアの販売成績は今や尻すぼみの状況にあり、新しく登場したカマロも競合となって、悪化する一方だった。その結果、コルベアの総生産台数は年間最低の27.253台を記録した。

ジョン・フィッチ同様、ペンシルバニアに拠点を置くシボレー使いのレーシングドライバー兼チューナー、ドン・イェンコは少数の準レース仕様コルベアを製作、販売した。ここに掲げるのは彼の67年モデル「スティンガー」だ。このネーミングはリアエンジンのとんがった性能に由来する。

1968

コルベアは販売最低記録を更新。

68年度のコルベアのラインナップは、500クーペとモンザ・クーペおよびコンバーチブルのみに縮小した。変更点は連邦法の規制に合わせるものだけで、サイドマーカー、パッド付き内装、3点シートベルト等だ。パワートレインには手を付けられなかったが、販売数はこの年15.399台まで後退した。モンザ・クーペのベースプライスは2.507ドルに上がった。

1969

コルベアが生産中止となる。

もはや誰も驚きはしなかったが、シボレーはコルベアの生産を1969年5月14日をもって終わらせた。5年に亘る安全性論争と販売不振の結果だった。69年モデルはぴったり6.000台が作られ、500とモンザのクーペ、2.641ドルのコンバーチブルである。この写真のコンバチは最後の521台のうちの1台だ。

クリアからアンバーに変わったサイドマーカーは、最終型コルベアの数少ない変更点のひとつだ。ここに掲げるのは2.522ドルのモンザ・クーペで、2.717台のうちの1台。片や2.528ドルの500クーペは2.762件の注文をかき集めた。ラルフ・ネイダーと安全性論者がコルベアの消滅に大きく影響したとは云え、今でもリアエンジンシェビイの熱狂的なファンが存在する。彼らにとっては喜ばしいことに、ネイダーが非難した初期コルベアの操縦危険性について、2001年の政府報告は少なくとも一部を否定し、コルベアのファンや自動車ジャーナリストがずっと主張してきたことを裏付けた。最後のコルベアの購入者には、1974年までシボレーの新車購入に使える150ドル分のボーナスがプレゼントされた。

コルベアの開発は事実上1966年に中止されたものの、デザイナー陣は第3世代に向けてアイデアを練り続けていた。この実物大クレイモデルはそんな次期コルベアデザインのひとつである。改良というよりも新たな進化を目指したのだろうが、1965-69年の色褪せないスタイリングが垣間見える。

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