崇徳天皇
小槌瀬戸

五色台と呼ばれる白峯山北側の山塊が瀬戸内に突出するその部分に、大鼻ノ岬がある。そこからすぐ2つの島が見えるのだが、手前を小槌、奥を大槌と呼ぶ。両島と四国本土の間を通称槌ノ戸瀬戸といい、特に小槌との間を小槌瀬戸という。

大鼻ノ岬から小槌を望む。右奥は大槌
ここは、上皇が納経を拒否された五部大乗経を沈めた場所とされる。松山の行在所で、鳥羽帝の菩提を弔うために3年の歳月をかけて書写した五部の大乗教典(華厳、大集、大品般若、法華、涅槃)全140巻を、安楽寿院*か石清水八幡宮に納めて欲しいと御製を添えて都に送った上皇であったが、信西入道*の入れ知恵を受けた後白河帝に拒絶されてしまう。本朝はもとより、唐土、天竺の昔をみてもかような例はない、なんと情けないことか、とこの世をはかなむよりも身内の非情な仕打ちに上皇は激昂した。

我生キテイテモ無益ナリ」(保元物語)

写経巻の奥に天皇家を呪詛する血書を認め、瀬戸内の海に投げ入れた上皇は、以後、髪も剃らず爪も切らず、鼓ヶ丘御所木ノ丸殿の奥に渋柿色の破れ衣をまとって憤怒の裡に崩じたという。
皇朝歴代鑑にはこう書かれている、
「上皇晩年剃髪剪爪せず、惨悴骨立居常忿々として崩ず」

    浜千鳥跡は都にかよへども
    身は松山に音をのみぞ鳴く
写経巻に添えた歌に込められた思いを断たれ、自ら「日本国ノ大魔縁」となることを誓った上皇が都に戻る時が来るまでには、なお七百年余りが必要であった・・・


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