崇徳天皇
鼓ヶ丘御所跡

瑞垣の外にある御所跡の石碑
讃岐の国府から綾川を越えてすぐ、城山の麓にある。平治元年から長寛2年の崩御まで約6年の間暮らされた場所であり、現在は鼓岡神社が建っている。
境内には行在所の建物を復元したという木ノ丸殿、擬古堂、杜鵑塚があり、また、近辺には碗塚、菊塚、内裏泉、などがある。

鼓岡神社全景。この右手に擬古堂がある
擬古堂
都を偲ぶ上皇の気持ちはいかほどであったか。

    鳴けは聞く聞けば都の恋しさに
    この里過ぎよ山ほととぎす
上皇の慨嘆を察したほととぎすは、以後、この地で鳴かなくなったという。

鼓ヶ丘御所へ密かに上皇に会いに来た淡路守是成は、保元物語に「生きながら天狗の様になりて」と書かれた院の姿を目にして落涙し、拝謁することなく歌を一首捧げて悄然と帰京した。

    あさくらや木のまろ殿に入ながら
    君に知られで帰るかなしさ
その時の上皇の返歌、

    あさくらを只いたづらに帰すにも
    つりする海士のねこそ泣かるれ
には、しかし「天狗の様に」と書かれるには、余りに人間的な感情が迸り出ているといえるだろうか。その治世こそ白河、鳥羽両院の院政下になんの政治実績も上げ得なかったが、和歌に優れ、笙を愛した上皇は、長寛2年(1164)8月26日、ここ鼓ヶ丘に崩御された。一説には、二条天皇の密命により、三木近安が暗殺したとも伝えられる。


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