高屋神社
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御棺台石。2尺四方、高さ1尺もない |
長寛2年9月、朝廷の返勅が下り、讃岐院の玉体は白峯寺にて荼毘に付されることとなった。高照院の安置所(殯宮)から白峯山に向かった葬列は、途中雨に見舞われて麓に休憩することとなる。このとき、御棺から血が滴り落ち、台石を斑に染めたという。その場所に創建されたのがこの高屋神社であり、神殿の右奥に今もその御棺台石を見ることができる。
同社のわきには白峯山に登る車道があるが、恐らく、四国巡礼を目指す人々も、この神社の縁起はもちろん、その由来に基づき別称を血の宮ということさえ、知らないかもしれない。
天皇寺|
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白峯寺
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